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zoom RSS 朝日新聞の言葉狩り

<<   作成日時 : 2008/06/26 20:05   >>

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 今おかれている現状から逃げ出すべく、言葉狩りを始めたいようです。これで煙に巻こうとでも言うのかな。

朝日新聞 高山市広報 戦死者を「英霊」と表現 岐阜版 2008年06月26日

 高山市主催の戦没者追悼式が24日に開かれたが、市広報誌の告知記事に「過ぎし幾多の戦争事変において、尊い犠牲となられた英霊を追悼します」とする表現が記載されていたことがわかった。「英霊」の言葉を使って戦死者を悼む個人の心情は理解できるが、公的な追悼式典で靖国神社にまつられている戦死者を意味する言葉が果たして適切だったかどうか。広く戦争犠牲者を悼み、平和への思いを新たにするのが目的だとすれば、よりふさわしい表現があったのではないだろうか。(中沢一議)

 追悼式は市民文化会館で開かれ、約600人が参加した。遺族を代表して、当時23歳だった兄を戦地で失った女性が「武器を取らず、戦争せず、平和な21世紀であることを願うばかり」と切々と訴えた。
 告知記事は、15日発行の広報「たかやま」の「情報のひろば」のページに載った。発行を担当する企画課によると、追悼式を所管する福祉課からの原稿をほぼそのまま掲載したという。
 靖国神社を参拝する遺族の多くは戦死者を敬う言葉として、「英霊」をごく自然に使っている。ただ、靖国神社は戦死者を、神道で死者を指す「御霊(み・たま)」としてだけでなく、特別な表現でまつることで戦意を鼓舞し、戦争を美化してきた歴史がある。しかも、民間人の空襲犠牲者や原爆犠牲者らは含まれていない。
 このため、民間人犠牲者も含めて参列する政府主催の全国戦没者追悼式などでは、「英霊」の表現は使われない。県戦没者追悼式でも「日清戦争から太平洋戦争までの間に、戦争や空襲などによって亡くなられた本県出身の方々を慰霊するため」と明記。
 岐阜市の場合は「過ぎし幾多の戦争事変において、戦没された軍人・軍属の方々、及び岐阜空襲等で犠牲となられた多くの市民のご冥福をお祈りします」との表現で、戦死者だけでなく、いわゆる戦災死者も含めて冥福を祈る趣旨がより明確だ。
 24日の高山市の追悼式典では、遺族会関係者は「英霊」の言葉を使っていたが、土野守市長は「御霊(み・たま)」の表現を使った。
 戦没者遺族の援護を担当する行政関係者は「英霊といった死者の神格化にもつながりかねない表現は行政は使うべきではないと、基本的には考えてきた」と話す。


■英霊 国語辞典などでは、死者の美称、尊称として第一に定義されている。だが一般には、靖国神社にまつられ、国のために亡くなった「戦死者」の意味で使われる。日中戦争が激化するなかで「護国の英霊」として戦死者を顕彰し、国民を戦争に動員する役割も果たした。戦争への反省から、戦後の一時期には、靖国神社を英霊顕彰ではなく、純粋な慰霊の場に転換していこうという議論もあった。


 ずいぶん、押さえた表現だな。朝日新聞。いつもなら、鬼の首を取ったように騒ぐだろうに。ちょっとは空気が読めるようになったのか?それとも、嵐が過ぎ去るのを待つつもりだろうか?いつもの調子で非難しないと、数少ないシンパが離れてしまうぞ。私はそれでもいいけどね。
 で、この「英霊」という表現。朝日が言うように辞書的には「死者の美称・尊称」ということなので、このことで市長に文句を言うこともあるまい。そこにあえて、難癖つけるからには、この言葉に特別な意味をなすりつけて、言葉狩りをやろうという腹かな?「言論の自由」を常日頃言っている新聞社とも思えないな。
 さて、翻って考えてみると、この英霊という言葉、朝日こそ使うべきであり、それこそ「英霊」に感謝を捧げ、かつ謝罪をするべきではないのか?戦争中(戦争前も)は、軍部よりも戦争遂行に邁進していた新聞社である朝日新聞には、それを行う義務があると思うぞ。終戦間際、軍首脳部が和平に向けて会議を開いている時、「もはや戦局は絶望的」との情報を得ながら、それでも戦意高揚をうたい続けた新聞社。これが朝日新聞だ。この責任を取るという意味でも、「英霊」に対して真摯な気持ちで向かい合わなければならないのではないか?その気持ちを忘れた新聞社であるから、昨今たたかれ続けているのだろう。なぜ、これほどまで朝日が忌避されるのか、考えてみてはいかがか?
 朝日の「言葉狩り」の金字塔は、この時期に限らず、数多くあるんじゃないのかな。敵性語禁止なんかは、確か朝日新聞が行った「言葉遊び」の一環ではなかったか?実際にそのようなことが政府主導で行われたような気配はない(海軍の入試科目に英語がある以上、禁止されているわけがない)。これはいわば、当時行われた「言葉狩り(遊び)」の一つだろう。それを行ったのは他ならぬ朝日新聞を中心としたマスメディアと国民だ。それを当時の軍および政府に責任転嫁するあたり、自ら発した言葉に対して責任を持たない新聞社ということかな。今、まさにそこがたたかれているのに。それがわからないから「朝日新聞」なのだろうが。
 この敵性語禁止に際して、ググっているとき見つけた本です。

英語を禁止せよ―知られざる戦時下の日本とアメリカ [著]大石五雄

■敵だから排除か? 理解か?

 戦時中、セーフ、ファウルといった野球用語が「よし」とか「だめ」といった日本語に置き換えられたことはよく知られるが、スタルヒン投手が須田博と「改名」していたということまで知る人は多くはないだろう。ディック・ミネは三根耕一に、フェリス女学院は横浜山手女学院に、雑誌キングは富士に、鉛筆のHBは中庸にそれぞれ変えられている。
 本書はこうした英語禁止の風潮が、言論界、政府、民間企業、教育といった様々な領域に広がっていく様子を具体的に記述したうえで、日系2世の若者を登用しつつ日本(語)研究に力を注ぎ、巧みな情報戦を展開していたアメリカの姿勢と比較している。日常生活、教育から敵性語を排除しようと試みた(そして情報教育を軽視していた)日本と、敵であるからこそ、日本(語)の理解を目指したアメリカ。このコントラストの持つ意味は決して小さいものではない。
 もちろん、本書では日系人強制収容所のことも触れられており、アメリカの「日本理解」を手放しで肯定するものではない。「敵でありつつも/だからこそ理解する」という姿勢の持つアクチュアルな意義を、具体的な事例のなかから浮かび上がらせてくれる。

出版社:ごま書房 価格:¥ 1,470


 へえ〜。こういう本の宣伝もするんだ。内容はまあ、大体わかるけど・・・。
 でもね、朝日(おまえ)が言うな!ですな。

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