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zoom RSS 自作の資料で歴史的発見?馬鹿か・・・馬鹿なんだろうな

<<   作成日時 : 2013/11/20 19:23   >>

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 ここんとこ、毎日毎日、いろんな記事が出て、どう書いていこうか迷う。とりあえず、今日はこれ。


朝鮮日報:日本が90年間否定してきた「関東大虐殺」の証拠見つかる
新たに発見された植民地時代の犠牲者名簿、その意味は
三・一運動当時の被害者の名前・年齢・殺害方法など具体的に記録
65年の日韓請求権協定、関東大震災と三・一運動の被害者は損害賠償対象に含まれず
徴用者名簿も発見…損害賠償請求訴訟に大きく影響か

 今回公開された植民地時代の被害者名簿が持つ最大の意味は、三・一独立運動や関東大震災での被害者のリストが(韓国の施設から)初めて発見されたということだ。忠北大学史学科のパク・コルスン教授は「今回公開された資料は、韓国政府樹立直後に全国的調査を行い植民地時代の被害事例を集めたという事実と、日本に過去史反省を求める資料として利用できるという点で大きな価値がある」と語った。

■三・一運動、関東大震災の犠牲者名簿を初めて確認

 これまで、三・一運動や関東大震災での犠牲者数が出てきたことはあったが、名簿が出てきたことは一度もなかった。関東大震災で虐殺された犠牲者については、約6000人(独立新聞)という見方から、最大で約2万人(ドイツ外務省)という見方まであるが、具体的な被害者名までは調査されなかった。被害の事実はあるが、被害者が誰なのかはきちんと調査されたことがなかったのだ。

 しかし今回公開された資料には、三・一運動や関東大震災で死亡した被害者の名前だけでなく、年齢・住所・殺害された場所・殺害の状況まで詳細に記録されている。それぞれの名前に続いて「日本の憲兵に銃殺された」「竹やりで刺されて死んだ」「警察署の留置場に監禁され、死亡した」などと記録されている。2歳の子どもを含む一家4人が死亡したという記録もある。

 柳寛順(ユ・グァンスン)については、三・一独立運動のとき日本兵につかまり、17歳で西大門刑務所に収監されて撲殺されたという記録が今回公開された。柳寛順の父親については、銃殺されたという事実が記録されている。柳寛順の母親と推定される40歳の女性も一緒に銃殺されたと書かれている。このように、殺害の手段・場所まで詳細に記録した資料は、これまで存在しなかった。

 日本政府はこれまで、1923年に発生した関東大震災での朝鮮人虐殺について、警察が介入したという証言が多数あったにもかかわらず、これを徹底して否定してきた。国の責任を避けるためだ。今回の資料は、虐殺の状況を具体的に記録しているだけに、真相の究明に大いに役立つというのが専門家の見方だ。

 また、65年の韓日請求権協定締結時に取り上げられた徴用者問題とは異なり、関東大震災や三・一運動の被害者については言及されなかったため、新たな損害賠償請求の対象にもなり得る。しかし、関東大震災の犠牲者の場合、時効の問題、加害者の立証の問題などが残っている。国民大学日本学研究所のチャン・バクチン研究員は「韓国政府が名簿を作っていても、韓日請求権協定のときに提示しなかったのなら、韓国政府の責任だと日本側が主張する可能性がある」と語った。

■「両国関係を揺るがしかねない」

 徴用で被害に遭った人も、新たに発見される見込みだ。韓国政府が57年に作成した「倭政(わせい、植民地支配下の政治)時の被徴用者名簿」には28万5771人の徴用者が記録されているが、載っているのは名前だけで、徴用の事実を証明するのは難しかった。しかし今回発見された「日政時被徴用者名簿」には、名前・生年月日・住所などが載っており、徴用されたかどうかを証明する上で重要な資料として利用できるとみられる。こうなると、現在16万人程度とされている公式な徴用者数も、増える可能性が高い。

 日本企業を相手取った損害賠償請求訴訟にも大きな影響を与える可能性が高い。被害の内容が詳細に記録されており、被害者の選別が可能だからだ。現在も計6件の徴用訴訟(三菱3件、新日鉄住金〈旧日本製鉄〉2件、不二越1件)が進められている。これまで、韓国の裁判所は全て原告勝訴の判決を下している。

 しかし日本政府は、植民地時代に韓国側が受けた被害の補償は日韓請求権協定により完全かつ最終的に解決したと主張しているため、この問題が今後の韓日関係に悪影響を及ぼす可能性もある。釜山大学法学大学院のパク・ペグン教授は「日本政府が今回の文書で『1965年体制』そのものが崩壊したと判断することもあり得る。そうなった場合、両国関係は根本的に揺らぎかねない」と語った。

■駐日韓国大使館の移転作業中に発見

 今回公開された文書類は、東京の駐日韓国大使館の書庫に保管されていたもので、今年6月の大使館移転作業の際に発見された。専門家らは、これらの文書の原本が韓国のどこかにあると考えており、またこのほかにも少なからぬ数の関連文書が国家記録院に眠っているとみている。チャン・ワンイク弁護士は「国家記録院などでほこりをかぶっている資料類を、総合的に調査することが必要」と語った。

パク・スチャン記者 , キム・ドンチョル記者





 まあ、いろいろ書いて、ご高説を述べているようだが、私がこれを見て思った事。

この資料つくったの、朝鮮人じゃろ

 例の条約締結の折の資料だと思われる。何を証拠にそんな事をと考える人もいるだろうが、この資料のうちの一つの題名が

日政時徴用者名簿

だもんな。そのほかにも「殉国日時」「殉国場所」だのが書かれてる以上、日本側の資料ではない。その殉国場所に 刑務所 があるが、普通に刑死ではないのかな?また、資料下部がトリミングされて見えない。思うに、

写ってちゃあ都合が悪い

んだろうねえ。他の資料の題名もはっきりしないし、あえて、見えないようにしているように見える。
 この一件で、朝鮮人独特のある種の行動が明らかとなる。

自分でつくった資料をもって、これが証拠だと言い放つ

かつて、自分の書いた私小説を「歴史資料」だとして、駐韓大使(だったかな?)に提出し、歴史認識を問い詰めたバカがいた。これは、あくまでも「たった一人の馬鹿」だと思ってたんだが、その馬鹿が多数いるのが、彼の国という事なんだろう(なんつったって、これ言い出したのは弁護士だからな)。

 教育ってのは恐ろしいもんだ。かつて、旧帝大を日本人と争って入学し、学んだ学士もいただろうに。ここまで劣化してしまうんだ。日本は皮一枚で免れた感じか。日教組がもうちょっと強けりゃ、どうなってたかわからんな。

しっかりと監視していこう

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