橋下大阪府知事 教育にほえる

 さて、今日は橋下府知事の「学力テスト結果発表要請」の記事です。橋下氏が必ずしも好きではないが、この意見には賛成。っていうか、何で反対するのかよくわからない。こういうデータは、教師にとってもいい材料になると思うんだけどね。


日刊スポーツ:大阪府教委が学力テスト結果の公表を要請

 全国学力テストの成績が2年連続で低迷した大阪府教育委員会は10日、各市町村の教育長を集めて会議を開き、学力テストの各自治体の結果を公表するよう要請した。

 公表を求める橋下徹知事の強い意向を受けた措置。会議で府の綛山哲男教育長は「知事は事態を深刻に受け止めている。説明責任を果たすためにも保護者らに伝えることが必要だ」と説明した。

 しかし出席者からは「知事の脅しのような言葉に屈するのか」「地域との連携はすでにやっている。公表で何を期待するのか」などと反発が相次いだ。

 市町村別の結果公表には、秋田県の寺田典城知事や鳥取県の平井伸治知事も積極的な姿勢を示している。

 [2008年9月10日18時10分]



 反発が相次いだそうだが、その理由がわからんな。

・「知事の脅しのような言葉に屈するのか」

 はて、確かに過日の知事の発言は不穏当なものだったとは思うが、問題はその発言の真意だろう。公表することが、屈することになるという考え方が理解不能だ。試験をしてその結果を公開しないというのでは、いったい何のための試験なのかということが問われると思うけど。試験をする以上、結果を出すのは当然であり、その出てきた結果に関しては当該者が真摯な態度で受け止めるべきものだろう。もっと言うなら、この公開請求は現場の教師サイドから出てもいい物だ(保護者にとっても大事なデータだろう)。それを知事が代弁しているように見えるのは気のせいか?それとも、現場の教師は公表してほしくない訳か?それは何故だ。
 まあ、聞いたらもっともらしい言い訳をするんだろうけど。私の思いつく理由はただ一つ「教師の能力」が問われることになるからだ。学生に関しても能力が問われているわけだが、中の人が3年程度で入れ替わる以上、成績が恒常化するはずもない。もし恒常化するとなれば、そこには「学生の能力」以外の要素がある。家庭環境等を言いだす人もいるだろうが、それはどの自治体(あるいは学校)も一緒だ(恒常的に家庭環境が悪い人が多いとなれば、それはそれで別な問題だろう。成績公表の阻害要因とは思えん)。となれば、後の理由としては、「教師の能力」だ。一つの学校・一つの地域であっても、学生はどんどん入れ替わっていく。しかし、教師は替わらない。となれば、成績の恒常化には「教師の能力」が不可欠である(いいにしろ悪いにしろ)。それ故、公表をおそれているようにしか思えないな。まあ、成績のいい方は公表に躊躇しないだろうから、抵抗するのは悪い方だな。

「教師の能力が低い」なら、まだ救いもあるとは思うけどね。どういう事かは言いませんが・・・。


・「地域との連携はすでにやっている。公表で何を期待するのか」

 教師(この場合は教育長か)がこれを言っちゃあいけないんじゃないの?何を期待するかと言えば、上位はより上を目指して努力し、下位は少しでも挽回するべく精進する。これにつきるだろう。こんな事でさえ言われなければわからないなら、子供のためにならんから教育界から去るがよい。

 この全国統一試験というのは、日本において自分の今おかれているポジションがはっきりとわかる手段だ。これを毎年やって積み重ねていけば、進学等を考えるに当たって極めて有効なデータとなるだろう。進学しない人には関係ないとも言えるが、進学しないのならばポジションにビクつく必要も又ないわけだ。公表を阻害する要因とは言えんな。

 また、学校・地域の序列化につながるとの声もあるが、それが何がいけないのか理解に苦しむ。勉強において、成績のいいものと悪いものとでは、習熟に関して時間が異なる。いい方にあわせた指導では悪い方が追いつけないし、悪い方にあわせた指導ではいい方が物足りない。いずれの場合も、対象は異なるが「教育を受ける権利」が阻害されているとしか言えない。これを解決する一つの方法が、「成績による差別化」だろう。クラスで分けるのか、学校で分けるのか、の差だな。まあ、成績向上による入れ替えを考えるなら、能力別クラス編成の方がいいとは思うけど。成績のいい人はいい人なりの、悪い人はそれなりの教育を受ける。そうすることで、上位はより上位を目指し、下位は向上するべく努力する。これこそWinWinだと思うけどね。これは「差別化」ではあるが「差別」ではない。等しく教育を受ける権利を守るための措置といえる。
 ただ、一つ言うなら、学校の序列化はすでに行われている。わかりやすいのがスポーツの分野だ。何らかの大会を開く際、「シード制」というものがある。これは、一つの大会の中で、初戦で強豪同士が対戦しないように小細工をすることだ。このシード校は優勝に至る試合数も少ない。平等という観点で言えば、これはおかしな事だ。全員が等しく選抜を受けているとは言えない。そのことには何故か教育界は沈黙する。
 また、スポーツで言えば、能力別クラス編成はすでに行われている。オリンピック強化選手はそこらの学生と同じトレーニングを受けているとでも言うのか?優秀なコーチ・十分な設備・十分な時間を与えられているように思える。それに問題があるかといえば、誰も文句など言わない。むしろ、もっと政府は援助しろとの声が強いように思える。
 では何故、勉強では同じ事が許されないのだろうか?少なくとも今の公教育において、このような教育をしているとは言えまい。このような状況は万人にとって不幸である。それ故、都会において私立に優秀な生徒が集中することになる(優秀な学生がそれに見合った教育環境を求めることは何ら問題ない)。これでは、地域の成績が悪くなるのも仕方のないことだ。まあ、これが「棲み分け」というべきものなのかもしれないが。
 これを避けるには、公教育の充実と言うことにつきる。たとえば、公教育においても能力別クラス編成を導入し、午前中は一緒の授業、午後は能力別とかね。この午後の授業において、上位はより上位を目指し、下位は上位になるべく努力する。これができれば、私立への人材流出を少なくすることもできると思うが。最も、教師の力量は相当なものが要求されることになる。それに答えられない教師を淘汰していくシステムもまた必要だろう。
 また、知事は「予算」の事にも言及しているようだが、これにも抵抗があるらしい。私が思うに、成績にかかわらず、同等の予算を充てればいいと思う。上位校はそれほど教員はいらないだろうから、同様の予算を教材等に充てればいい。下位校は習熟が不足している以上、教員の充実が必要だからそこに予算を充てればいい。どちらかに不平等に当て込むような予算は避けるべきだとは思う。その上での格差については、仕方がないだろう。機会が均等であれば、結果に格差があっても不平等とは言えまい。大体、勉強が嫌いな奴だっているんだから、無理してお金かけて勉強させることもあるまい。勉強が嫌いな人はそれなりに勉強できればいいわけだし、勉強が好きな人はより高みを目指したいと思うものだろう。結果の平等なんて「くそくらえ」だ。

 どうも、教員という人は、「受験」に関して、否定的にとらえる人が多いように思える(そうでないなら、公表を渋るはずもあるまい)。よく言われるのが「受験勉強は役にたたない」というやつだ。もちろん、高校入試、大学入試で問われた科目に役立たずな知識がある事は事実だ。それ故、そんなものを勉強したところで仕方ないという人もいるだろう。しかし、ちょっと考えてほしい。確かに一般社会に出て、「行列」「数列」「三角関数」は必要ないかもしれない。微積分なんて見ることも大半の人がないだろう。しかし、それらを学ぶ理由はその解法テクニックを磨くことではないはずだ。それらを通して、「数学的思考法」を学ぶことだろう。
 かくいう私は理系(理科がすき)でありながら、数学は大嫌いだった。特に高校に入ってから、「三角関数」「数列」に悩まされ続け、毎回テストで赤点取って追再試の繰り返しだった。それでも、高校3年になったとき、数Ⅲを取った(古いな)。これをやっておかないと、進学に差し障りがあったからだ。理科は「物理」「化学」。これまた、受験に有利な科目だった(大学の選択範囲が広かった)。もちろん、数Ⅰ、数Ⅱbで苦労させられた私が、より上位の数Ⅲをわかるはずもない・・・・・と思っていたのですが、そこで学んだのが「微積分」。これをやった時、今までわからなかった「三角関数」「数列」が一気に理解できた。まさに、「一点突破の全面展開」って感じだったな。ああ、数Ⅰ、数Ⅱbではこういう事をやってたのかと、はじめて理解できた。高校1・2年でやっていた(やらされてた)のは解法テクニックの丸暗記だった。これがどうも性に合わなかったようだ。数Ⅲでその解法テクニックの理屈を学んでしまうと、今までの苦労が嘘のようにどんどん吸収できた。かくして、不安視された数学が得意科目に変化した。この高校3年での1年間の数学で福本先生に「数学的思考法」をたたき込まれたのだと思う。これ以降、数学が苦手になることはなかった。解法テクニックの丸暗記に終始していたなら、こうはならなかったろう。
 受験という戦いの中で、解法テクニックは重要だ。覚えてさえしまえば、様々なことに対応できる。しかし、ちょっとひねったり、見方を変えた出題をされるとたちまち混乱する。これは数学的思考法を理解していないと特にそうなる。入試程度の問題なのだから、必ず導き出せる答えはある。その道筋を見つけることが求められている。それがわかれば、問題は解けたも同然だ。これが実に楽しいパズルなんだな。見つけたときの充実感といったらなかった(まあ、詰めが甘くて計算間違いしたこともあったけど)。
 解法テクニックにこだわった勉強はつまらない。おもしろくない。いざという時役にたたないとも思う。そういう受験勉強は「百害あって一理あり」くらいだろう。しかし、「数学」を学ぶことはおもしろい。こういう感情を引き出すのが教師の力量だろう。

受験勉強を通して、本当の意味での「学ぶ」ということを問いかける教師はもう少ないのだろうか?

 話がそれたな。このテストの結果については公開するべきだと思う。そのことでのメリットが極めて大きい。自分の立ち位置を把握するのに役立つし、受験にも極めて有効だろう。上位も下位もより上を目指せばよい。より高みを目指すことが悪いこととは思えない。
 反対する人に聞きたいのは、何故それがいけないのかと言うことだ。上に書いたように、彼らが問題だとすることは、それほどの問題とも思えん(まあ、教師にとっては大問題かもしれないが)。感情的な脊椎反射ではなく、事実に立脚した根拠のある反論をお願いしたいものだ。

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