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zoom RSS 信仰ってなんだろう?

<<   作成日時 : 2009/06/06 17:54   >>

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ずいぶんさぼってます。タイヤ交換の後、ついついバイクにかまけてます。最近天気が思わしくなく、走れなくて残念。
 さて、今日は宗教のこと。毎日Hentai新聞の記事です。

毎日山口:靖国合祀:「夫の合祀取り下げを」 山口市の中谷さん、あす抗議集会で訴え /山口

 41年前の交通事故で陸上自衛官だった夫を亡くした中谷(なかや)康子さん(75)=山口市=が、夫の県護国神社への合祀(ごうし)取り下げを求めて6日に抗議集会を同市で開く。逆転敗訴となった最高裁判決から21年を迎え、毎年この時期に抗議を続けてきた。高齢のため体調を崩したこともあったが、「戦争に向かっているような(社会の)空気を強く感じる。合祀反対の声を上げ続けたい」と訴える。

 中谷さんは、陸上自衛官だった夫(当時37歳)を勤務中の交通事故で亡くした。自衛隊は殉職として県護国神社に合祀。キリスト教徒の中谷さんは73年、合祀の取り下げを求めて山口地裁に提訴した。1、2審では宗教上の人格権を認めて勝訴したが、最高裁は認めなかった。

 信教の自由を守るために活動を続けてきた中谷さんは「知らない人から応援の手紙をもらったこともあった。でも最近の靖国問題などを見ていると、戦争が(再び)起きるような状況になっていくのではないか」と懸念する。

 中谷さんを支えてきた「『合祀いやです』少数者の人権を求める会」の浦部頼子代表(73)=山口市=は、「中谷さんの訴えがその後の靖国訴訟などにつながっていった」と意義を語る。また、浦部さんの父はフィリピンで戦死し、靖国神社に合祀されているといい、「私たちが伝えなければ、(戦死者が)合祀されるような状況に再びなってしまう危機感がある」と話す。

 6日は県護国神社に面談を求めた後、午後1時半から山口市大手町の県教育会館で、大阪の靖国訴訟に携わった弁護士が講演する。主催は「求める会」(日本基督教団小郡教会内=083・×××・○○○○)。【井上大作】

電話番号はふせました。

 まあ、気持はわからんではない。信仰のことだしな。他者がおいそれと立ち入っていいはずもない。と考えると遺族の気持ちを大事にしようというのが毎日Hentai新聞の主張なのだろう。
 一見正しいようにも見えるが、この記事の中では大事なことが欠落してる。

亡くなった人の意志(遺志)はどうだったのか?

信仰の自由はキリスト教徒だけのものではない。他宗教の信仰も同様に守らねばならんし、神道も例外ではない。そこには何人たりとも立ち入ることができない。たとえ親・兄弟・女房・子供であろうともだ。
 いろいろ調べてみると、どうも故人は合祀に反対と言うこともなく、この奥さん以外の親族もまた合祀をのぞんでいるようだ。反対してるのはこの人だけということかな(他にもいるなら、それをHentaiが書き漏らすはずもない)。
 私も信仰の自由というのは守られるべきだと思う。しかし、これを突き詰めていけば、あらゆる宗教に寛大である事が求められる。このことを最高裁は明確に提示している。

判決文はここ

 これまた、明確に書いてるな。私の感覚では「ちょっと違うんじゃないの?」という所もあるが、おおむね同意できる。

本件を時系列で書くとこんな感じかな

故人Aは岩手県釜石市内において公務従事中交通事故により死亡した。

自衛隊岩手地方連絡部の準備により行われたAの仏式による葬儀に喪主として参列

Aの父Bが山口県防府市で行つた仏式の葬儀にも参列し、BはAに戒名を付してもらい、遺骨を仏壇に安置した。

Aの死後被上告人は一時B宅に身を寄せたが、約二か月後Aの遺骨の一部をもつてB宅を出て別居し、同人の気持を考慮して仏壇と位牌を置き僧侶を呼んで読経してもらつた

二、三か月後には仏壇を取り払い、昭和四四年前記教会の納骨堂に遺骨を納める
(おそらく、ここで奥さん以外の遺族がカチンと来た)

毎年一一月同教会の行う永眠者記念礼拝にも子Cとともに毎回出席

被上告人はキリスト教の信仰の下に日曜日には教会で礼拝し、Aの死の意味を求め、追悼し、キリスト教の信仰を心のよりどころとして生活している。


てとこか。これをそのまま見れば、信仰の自由なんぞ消し飛んじゃうな。少なくとも、宗教を理由とした分祀は受け入れられないだろう。ここでの問題点は以下の通り。

・自衛隊の仏式の葬儀に喪主として参列
・山口の実家で行われた仏式の葬儀に参列
・山口の実家からの別居後、仏壇をおき、僧侶に読経してもらう

 これがそもそもおかしい。そこまで信仰のこだわるなら参列できないはずだ。まして喪主として参列できるなら、宗教が理由でないことは明白。おまけに、自分の住む家に仏壇を置くって何?とても宗教に厳格な人とも思えん。

・二、三か月後には仏壇を取り払い、昭和四四年前記教会の納骨堂に遺骨を納める
 これがまた、火に油だわな。宗教・信仰の自由を言いたい人がやっちゃあいけないことだ。上にも書いたとおり、信仰の自由はあくまでもその人個人に限ったものであり、他人にそれを強要することはできない。故人Aを祀りたいのは何も奥さんだけじゃない。自衛隊の同僚もいるだろうし、親兄弟・親戚の親族もいる。これらの人たちは合祀を要望していたようだ。だとすれば、分祀と言うことになれば、これらの人々がのぞむ形で祀ることができなくなる。信仰の自由の観点から言えば、これはおかしい。
 ましてや、この行為(仏壇取り払い)がその他親族(親兄弟を含む)の信仰をないがしろにしているといわれてもしかたない。まあそれでも、自分ちの仏壇だけならまあいい(その他遺族は怒り心頭だろうけど)。しかし、自分の信奉する宗派以外で祀るなと来たら、抵抗されるのは当たり前。もちろん、こんなもん、折り合いなどつくはず無い(だから宗教なんだけどね)。

 「護国神社で祀るな」というのが正当な権利の主張なら、「キリスト教で祀るな」というのもまた正当な主張となる。こんなもんに裁判所はいちいち立ち入れないだろう。どちらの主張も「信仰の自由」に触れる。どちらかに立ち入った判決を出せば、裁判所という国家権力が一方の宗教に与したと見れれかねず、それこそ「憲法違反」の疑いが出るだろう。
 さすがに最高裁は、奥さんの主張を破棄した。つまり、

「祀りたい」という故人関係者の意志を妨げることはできない

ということだわな。これにつきる。奥さんは奥さんで祀ればいいし、他の遺族は他の遺族で祀ればいい。自衛隊も同じ。信仰の自由を守るためにはこれしかないだろう。

 最もこの時系列を見たとき、この行動はおそらく奥さんが最初から考えていたものではないだろうと推測する。おそらくは後で絵を描いている人がいるんだろう。そういう人がたきつけたものだと思われる。そうでないなら、上に挙げたような首尾一貫しない行動が説明できない。
 で、まともな頭で考えれば敗訴が当然のこの事例を、この時期にわざわざ記事にしたHentaiのもくろみはといえば、反日行動に他ならないだろう。この記事で足りないのは

・故人の遺志がおそらく護国神社への合祀だったこと
 (そういう団体に所属していたようだ)
・奥さん以外の遺族が合祀をのぞんでいること
・奥さんによる基督教式の追悼を妨害されていないこと


これらのことがきれいに抜け落ちてる。これでは紙面を読んだだけではわからんわ。実にHentaiらしい、嫌らしい記事だな。

 そういや、もうすぐHentai記念日だ。文春に押し紙のことでキャンペーンを張られてるようだし、いつまで持つのかなあ?

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